昔,お寺に手伝いに行ったことがある。大多喜南無道場の手伝いをさせていただいたのは、13年くらい前のことだろうか。そのころ、私は、司法試験受験生であった。なかなか合格することができず、俗に言うプー太郎のような毎日を送っていた。大学を卒業するまでは、自分でいうのも何だが、俺は頭がいいのではないかと自惚れていた。しかし、司法試験は、恐ろしい試験であった。自分くらいの程度の人間はざらにいる、まわりから優秀といわれている人も合格できない、不思議な試験であった。
自分の自惚れは、卒業後4年もすると、ぼろぼろになってしまい、将来に対する不安と自信喪失にかられる毎日を送っていた。そのころ、近所の書店で、手にしたのが松原泰道師の観世音菩薩と
いう本であった。これは見本本であったが、なぜか売りに出ていた。そこから、南無の会を知り、坐禅会に通うようになり、Y師という若手の禅僧に出会うこと
になった。司法試験は、5月の試験をパスすると7月に次の試験を受けられる。その後は、しばらく夏休みの状態になる。Y師から、大多喜南無道場というのが
夏休み子ども道場というのをやっている、お前も手伝いに行かないかと誘われたのが、大多喜南無道場との最初のかかわりである。受験生をしていると、世間知
らずになり、どんどんと心が狭くなっていく。そんな自分が大多喜南無道場に行くことができたのも不思議な縁である。道場の子どもたちと小川に出かけ、みず
をかけっこしたり、薪割りをして、風呂をたいたりしたのも良い思いである。お題目を唱えたりしたのも懐かしい。お寺の生活は、新鮮である。自分もそうだ
が、特に子どもたちが道場に参加した何日間かをお寺で過ごすと、背筋がしゃんと、しっかりとしていったのが印象的であった。
現代社会は、
効率を求めるあまり、なにかと忙しくなり、すべてが殺伐としている。言葉で、いのちの大切さを訴えても、体や心の奥で、いのちの大切さを心でしっかりと感
じることは難しくなってきているように思う。大多喜南無道場は、現代人が、本来の自分を見つめ直すかっこうの場所である。夏休みに、道場で、子どもたちと
触れあうことができたのは、今の自分にとって、かえがたい大切な体験であったことは間違いない。
その後、苦しみながらも、司法試験になん
とか合格することができ、今は、水戸で弁護士として仕事に追われながら暮らしている。小さな子どもも2人いる。ときどき、子どもたちをつれて、近所のお寺
を訪れることがある。そのとき、子どもたちと声を合わせて「なーむ」とお祈りすることにしている。子どもたちには、なんのことかはわからないだろう。しか
し、お寺に行き、「なーむ」とただただ手を合わせることが大切なのだ。子どもたちが、もう少し大きくなったら、ぜひ道場に連れて行きたい。その日が待ち遠
しい。