法教育で身につけてほしい視点は、簡単に言うと、
私
私たち
私たちすべて
これらの視点である。
これらは重なり合っている。
どこまで視野を広げられるかがとても大切である。
たとえば、
コーヒー一杯を飲むとする。
それは、次のようにいろいろなレベルでとらえることができる。
私のレベル 自己決定 自由 コーヒーを飲むのは私の自由だ。
私たちのレベル 他者への配慮 影響 コーヒーを飲んだら誰かに迷惑をかけたりしないだろうか。
私たちすべてのレベル 人間を含む環境への影響 コーヒーを飲むことは、生態系や環境に悪影響を与えないだろうか。
これらは言われてみると簡単だが、実際はどうか。
私たちの行動は、あまり考えない反応的なもの、往々にして自己中心でありすぎないだろうか。
法教育について勘違いが多い。
たとえば、法のしくみを知識として覚えさせようというものである。
たしかに知識は必要だ。
しかし、考えてもらわなければ法教育にはならない。
法教育は、自分の頭で考える市民を育成する。
だから、
しくみがどうなっているのかを知ることよりも、「どうして、そんな仕組みを作ったの?」と考える方が大切だ。
裁判所を見学することもよいことだと思う。
しかし、
それで満足せずに
「なぜ裁判所があるの。裁判所がなければどうなるの。」と考えさせてほしい。
先生方にお願いしたいのは、生徒さんに考えさせることだ。
社会科においても「なぜだろう?」という疑問を持つことは大切だ。
そして、
おかしいと感じたら、「どうすればいいのだろう。」とつなげてほしい。
これが法教育においてもっとも大切なところだ。